げーむの跡

襟足の行方

「未完」に想う

ドリアラの女性ダンサーの件について想うことは、だから完成形がいいかどうか映像検証したいんで円盤を。ということにつきるんですが。

 

そんなことよりも、あの日の、最後の最後の、大写しになったときの、あの言葉を探すのも難しそうな、戸惑いを孕んでなんとかみているあの表情の方が記憶にまだまだ新しい。嗚呼こういう顔をするんだなぁ。することをみせることもあるんだなあ。これは夢か幻かとまだ生で数回も観たこともないこちらも芯から当惑した。あのね、全然納得している顔ではなかったんですよね。もうあの顔をみることはおそらくないかと思いますが、あの納得してない表情を中に飼ったままままなのかな、と思いこめるその余白だけで遠く年月たった今に「未完」というタイトルで酔えます。

 

きっとあの初日までも長い道のりだとおもうひとと、そこから長かったとおもうひとと、その両方をおもうひとでできる空間です。あっ、次のツアーはお席ございませんってマイページには書いてありますよ。便りは未だありませんけどもね。いい便りを祈っております。楽しみにし続けていれる感謝。