げーむの跡

襟足の行方

伯父さんと姐さんとおばさんの話

昨年のすまこんの話を唐突に長尺でします。
席はアリーナ中腹、隣にはわたしの同世代のお母さんとやっと小学生くらいの親子がきました。お母さんはトイレいいのトイレ!と席につくなりお子さんを誘いますが、いい大丈夫さっき行ったし今絶対混んでると冷静にいい放つ娘を置いてとりあえずトイレへ。そのお子さんはちゃきちゃきとグッズ等あけて身支度を整え始めますが、なかなか丈夫なペンラのプラケースを小さい手であけるの四苦八苦。一分近く頑張るもんでさすがにおばちゃん開けましょうか!と声をかけるとじっと目をみながらありがとうございます!とお返事しながらお母さんの分も預けてくれる出来た子です。怪力ネイル野郎おばさんは一個ずつ慎重にあけながらいくつですかー?と聞くと8才ですあと始まったらコレ乗るかもですけど邪魔なら言って下さい!と的確且迅速にお返事をしてくれました。コレとはグッズの靴箱をいくつか足元に積んでるやつ(をジャンプ的なもので乗り場補強したもの)でよく話を聞くと、前の人の身長越さないくらいに調整してスーツの人が注意しに寄らないようにも後でするので、というような説明を長めのポッキーくらいのサイリウムを上手に折ってミッキーヘアバンドを作成しながらしてくれました。あんなにサイリウムを折り慣れてる少女にまずお会いしたことがなかったのでもうここまでの流れに感心したのと、トイレから帰ってきたお母さんにちゃんと点いたよもう!ケースに入れた!ケースあけてもらった!と点灯確認の必要性と絶縁体の場所をしっかり訴えつつ母親に怪力おばさんへのお礼を言わせながら自身のトイレへ一人スタスタ向かう彼女の頼もしさのおかげで心の中で『姐さん』と呼ぶことが開演前から決まってしまいました。姐さん・・おばさんもよくそれ注意されるから今後気をつけるね。しっかりとどのトイレが一番空いてるか係に聞いてから行った!という姐さんはもちろん開演前に隣で再スタンバイ上等です。脱帽するっきゃないです。ただでさえ良く見えるステージ構成で有難いことに場所も場所で基本的に見易さったらないのですが、隣の姐さんはブロック群から(サイリウム分も!)飛び抜けない高さを気にしながら靴箱の上から顔をあげたりここはいいと見切ったら見疲れないモニターを探したり椅子に座って休憩中。挙げ句やおら靴箱を椅子下にしまい出し姐さん自身は靴を脱ぎひょいと椅子の上に移動したのでおやおや?と思っていると逆隣の方で立っているか座っているのか開演直後は判らなかったくらいのムーさん的なマツコ的な体型の方がイイッスカ?とこちらに向いて立ってか座ってかおります。なにトイレかと思い身を引きなんとか前を通すとその方の行く先には姐さんのお母さんもすでにいません。そう、柵側まで来たるトロッコ近辺への移動・・バッファです。スカスカのパイプ椅子の並んだ空間、ほんの少し先には目一杯の光浴びる目一杯かわいいおじさん達と猛獣の群れ、残される慎吾担が座席に二人・・姐さんが行かないの?と群れを指差します。首を横に振りながらそっちこそ?と指差すと向こうも首を振ります。客電が半付きくらいだったからか流れライトのせいか、暑くて途中で着替えた慎吾担丸出し格好をした私をその時初めてしっかり目視した姐さんは「・・しんごちゃん、あっち。大きい。かわいい。いま大きい。」とやっと年相応の会話とも呟きとも言えない言葉を発しながらトロッコを指差します。うん、大きいね、かわいいね、ほんと大きいね、今けっこう大きいよね。と二人でうわ言のようにじたんのサイズ評を言い合いながら同担の甘い世界とそれ以上のなにかを共有しながらJoyしていました。猛獣の根絶できない世界もある、メインステージすら見えない席のある世界もある、どこのDMといわんばかりに葉書メールが来たりもすればいつでもどこでも飛んでいかせていただいたり何年間もえっとこれって干されてないですよねみたいな世界もある。客電つく大フィナーレのなか風船全色を荷物にねじこむのに夢中な大人がいれば、その人物に邪魔にならないことを優先するこどももいるのですそれが世界です。もちろん椅子上や靴箱がいいのかとかそんなこどもばかりでないのもわかります。時代や場所が変わればどれもが正しいしどれもが間違ってるしそういうもんだとも思います。反面教師ってやり方もあるでしょうが、じたんがママだったころにまだ産まれてない小さな子にここまでしっかりさせない・・とまでではなくとも気を使わせない大人になりたいなあと思いました。いろんな世界をこれまでもこれからもみるんだから。



伊野尾さんの初舞台の初日を観に行きました。内容やそこで感じたものは公演も続きますし一旦置いて、ちょうど後ろに座った首からパス下げたスーツのおじさん達の話します。『おおぅ粒そろってるね』『揃ってますね。揃っちゃってますね。』『これからだねえ』『これからですねえ』これをもうほぼほぼお客さん座って幕上がるだけみたいな会場を見渡して言ってるんですよ、期待しかない感満載で。確かにある種の統一性を感じた、若いはもちろん落ち着きすら感じるほどの概ねスイーツで且ガッツも含む感じの女子かマダムと呼ぶに分類される品格とお財布の厚みのありそうな姐様・・・・グッズ売り場でゲラついてたり奇声とかあげてるような子いないんだから(それはそれでどんな世界)。これがまたよくも悪くも世界は混じっていくのならその過程は遅蒔きながらちょっと観ていたいと思いました。出来るだけいいと思える世界で。すまにいさんドーム押し合いながら出るときに「うう゛煎餅・・」ていういくつもの驚愕の呻き声を聞いた話は後世に語りたい素敵エピソードだけど、それってそれだけほとんどみんな買ってる優秀な物販だからっていう前提ありきの話だからね。物販につながることが最大の趣旨であるべき用事について物申してる訳じゃないけどね。もう申しててもいいけどね。なんかとにかく怯えないでほしいし怯えたくもない。世界にも倍率にも出来れば怯えたくない。産業としてのネクストステージの世界を楽しみたい。かわいい人たちをかわいい密度でただただ観たい。それならわたしはその教室の錆びて抜けなくすらなった役立たずの画ビョウくらいになりたい。おはようございます多分いい朝。